Bianchi (Italy 1901- )

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 世紀の変り目、イタリアモーターサイクル業界黎明期に頭ひとつ抜きん出ていたのがビアンキだ。創始者Edoardo Bianchi氏は1865.7.17生まれ、ミラノの孤児院で育った。早くからエンジニアリングに才能を発揮し、20才のとき小さな自転車工場を起こしたが、1888年にはイタリア初の空気入りタイヤを採用した自転車をつくり、より大きな場所へ移っている。1890年代のイタリアのみならずヨーロッパ中でサイクリングが流行するのにあわせ、彼のビジネスは飛躍的に発展していった。

 1897年はビアンキがオートバイへのトライを始めた年だ。de Dionのシングルエンジンをトライシクルに積み、テストを行っている。当時のイタリアでは人力に頼らない移動手段が渇望されていた。そして1901年、最初のモーターサイクルのプロトタイプが走り始め、おって生産に移される。このビアンキ初のオートバイの生産はエンジンも含めすべて彼の工場の外で行われた。エンジンはde Dion製をライセンス生産したもので2hpを発生。1902年にはさらに工場を拡大し、生産能力をあげるだけなく勿論モデルの改良にも注力される。点火方式はマグネトー式になり、F機構はリンク式に、ベルトドライブも改善された。4輪車の生産にも手を伸ばし、Edoardo Bianchi & Co.として組織を再編成した1905年、FフォークはTruffault forkに進化、1910年にはまったく新しい500ccモデルを製作し、ライバルメーカーから驚嘆されたといわれる。

 WW1の間、ビアンキは航空機エンジンの開発に力を注いでいたが、同時に軍用モデルC75用に649ccVツインエンジンの供給も行っていた。このモデルは戦時中ひたすら生産、また改良され、終戦時には741ccまで排気量アップが図られていた。

 Edoardo Bianchiはイタリアの工業界の一時期を築いた天才と評されている。