HarleyDavidson-early model


 


 <編集中>1903-1905の極初期モデルは25cu.in.(400cc)、3psのドディオンタイプシングルで、動力伝達はエンジンのプーリーと後輪に設けたリムを結ぶ2プライの皮ベルトによっていた。始動は圧縮を探ったあとペダリングによるものであった。このモデルには坂を上るだけの力もなかったとされる。シリンダヘッドはシリンダと一体で、吸気バルブはピストン下降時の負圧とスプリングで動作、排気バルブはカムによる駆動であった。1906年にはこれをボアアップして35cu.in.(575cc)、4psとなる。フライホイールは2倍の大きさとされ扱いやすさ、寿命が向上した。フレームはシングルループフレームと呼ばれ、ダイヤモンドフレームで問題となる応力の発生が少ないものだった。排気音の静かさもまた特徴だった。またこの1906年から黒一色だった塗色にルノーグレーに赤のストライプが加わり、最初に用意されたオプションとなった。翌1907年モデルでは車体側が改良され前フォークにスプリングが付き、1908年にはボッシュのマグネトーに替わってバッテリー点火を採用するモデルがラインナップされた。この1908年からHD社はモデルをい生産年度によって分類するようになる。1904年を本格生産開始の年とし、1908年モデルは5年目のモデルとされた。このシングルエンジンは1918年まで大きな変更なく生産が続けられた。1918年型は特別注文のみ。

 Vツインの開発は1907年には着手されていたようであるが実際に製品化されるのは1911年。挟み角は45度で61cu.in.(1000cc)だが当時ラインナップのシングルが30.17cu.in.でこのシリンダを2つ使い、フレームに収まるように配分した結果とされる。

 1912年モデルではツインとシングルにフルフローティングシステムを採用。これはシートポスト内にスプリングを内包し乗り心地の向上を図ったものだった。また同年にはクラッチ付のモデルも生産に移され、翌1913年には1段だったがミッションを搭載、2次伝達はチェーンとなった。1914年モデルでは後輪にドラムブレーキが採用され、2速ミッション、ガスライトを装備。サイドカーが作られたのもこの年。1915年にはライトは電気式になりミッションは3速になった。ここまで着々と進歩を遂げできた格好だがここでWWIのためこの方面での進歩は一時停滞する。

 1918年、オプションだったが手動のRブレーキが開発される。1920年モデルでは電装が自社製となった。ドイツ ボッシュ製のものが使用されてた電装関係はWWIの影響でアメリカ レミー製のものに変更されたがこれの品質が悪かったためにイグニッションコイルを自社開発したものだった。レミー製のものは湿気に弱かったとされ、自社製点火装置は高品質でその後10年の品質基準となった。

 同社が生産したツインはVツインばかりではない。1918年から1923年まで37cu.in.(600cc)水平対向ツインモデルがラインナップされていた。

 1921年には新シリーズ「JD」の生産を開始。これはスタイリングを重視した74cu.in.(1200cc)モデルで涙滴型タンクを搭載して人気を博した。また同年には軽量車市場に21cu.in.(350cc)OHVとフラットヘッドモデルで再びアプローチしている。

 同社のレース活動は積極的参加から完全撤退と両極を動いてきたといわれるが、1925年にヒルクライム、フラットトラックで戦績を残した61cu.in.(1000cc)2カムレーサーはワークスではなかった。1928、1929年に少数生産されたこれのレプリカがいわゆる「2カム」で61cu.in.(1000cc)と74cu.in.(1200cc)の2機種が存在する。

 1928年は市販車に前輪ブレーキが付いた年だ。そして1929年モデルはヘッドライトがツインになった。ラインナップは45cu.in.(750cc)フラットヘッドVツインと30.50cu.in.(500cc)シングルで、このエンジンのバリエーションはともにロングセラーになった。500ccシングルは1934年まで生産された。

 1930年にはVLを発表。VLシリーズはホイールに互換性が持たれていたのが技術的特長だ。1931年のラインナップモデルはツインヘッドライトからシングルライトに戻されるが、VLも例外ではない。またこの1931年頃から、これまでストライプ等のアクセントに違いはあっても基本的にオリーブ色にだった塗色から様々なカラーリングをトライするようになった。1929年秋の株式市場暴落以来の不況の中で少しでも製品をアピールするためのトライであり、この時期同社モデルのガスタンクは様々なアールデコ調のデカールで飾られた。1932年には45cu.in.(750cc)のサービカー(三輪車)が発表され、1974年までサービカーは作られた。サービカーにバックギアが付いたのは1934年だが、サイドカー付きのVツイン二輪車には1932年からこの装備があったようだ。

 1936年は半球型のシリンダヘッドを持った初のOHV Vツインナックルヘッドの発表された年だ。この年のラインナップには80cu.in.(1300cc)フラットへッドのULHと初の4速ミッションを搭載したVLの最終型があった。このULH80cu.in.エンジンは1945年まで生産される。

 1937年には74cu.in.(1200cc)のフラットヘッドモデルがULの呼称で発表された。このULは1948年まで生産される。また同37年45cu.in.(750cc)クラスにWLをラインナップする。1938年はチャージランプ、オイル警告灯を装備、1939年に流線型のダッシュパネル、1940年には16インチホイールとメタルのネームプレートを初採用。こうして積み上げられたWW2前技術の集大成として1941年の74cu.in.(1200cc)ナックルヘッドがあった。クラシック中のクラシックと呼ばれるこの41年モデルはタンクを金属のストライプが飾り現在でももっとも人気の高いモデルのひとつとされる。

 WW2の戦時中の販売先は軍と警察機構しかなく、民需用車両が大きな改良を施されるのは1948年まで待たなければならなかった。1948年、シリンダの下に油圧リフターのついた74cu.in.(1200cc)パンヘッドが発表され、また足動変速の3速ミッションの付いた125cc2スト車がラインナップされた。翌1949年にはFフォークに油圧を用いたものが現れ、これの付いたものをハイドラグライドと呼んだ。同様の機構のものが1951年に125ccマシンにも採用されるようになるがこれはテレグライドと区別して呼ばれた。1952年は変速機に足動式のものを採用するものが現れFLとELにもオプション設定された。標準搭載となったのは新設計された45cu.in.(750cc)のKシリーズでヨーロピアン風のスタイリングが与えられていた。1953年にはこれの派生モデルとしてスクランブラーのKRMが発表されるが、以降エンジンは55cu.in.(883cc)に拡大される。883エンジンを最初に積んだのは1954年のKHである。

 1955年、豪華ツアラーとしてFLH74cu.in.(1200cc)発表。フレームはまだリジッドだったがこれまでのFLシリーズの集大成といえるものだった。1957年には新しい流れとしてOHVのスポーツスターXLを発表。両シリーズはさらに進化し、1958年、FシリーズはRスイングアーム、4輪と同様のショックアブソーバーを得てデュオグライドとなり油圧ブレーキは新型に、Xシリーズはマグネトー点火になりXLCHとなった。CHはCompetition Hotを意味する。

 1959年同社は国内向け小排気量車の生産を中止、以降はイタリア アエルマッキ/ハーレーダビッドソンから輸入する車両で対応することになった。例外的に国内生産されたのはトッパースクーターでこれは1960年に発表された。主流モデルの方はXシリーズには1964年全幅ドラムブレーキを採用、1965年にはFLシリーズのバッテリが12V仕様となりセルモーターを搭載、ガスタンクは19Lとなってエレクトラグライドと命名された。

 1966年、ショベルヘッドエンジンが開発されエレクトラグライドに搭載される。エンジンは鉄製からアルミ製となり、外部に露出していたオイルラインがなくなって信頼性が向上した。フルドレスという呼称が使われたのもこの頃だ。1967年にはFRPの技術が完成をみてサービカー(三輪車)のボディがFRPで作られるようになる。さらに翌1968年にはサイドカーボディもFRP製になった。スポーツスター系では1968年にXLHはセルが付き、フェアバンクス・モース製マグネトーを搭載したXLCHがデヴューした。これらXL系モデルには240km/h(150mile/h)スケールのメーターとオーバル形状のエアクリーナが装備された。

 1970年のモデルにはAMFの名が冠せられているがこれらは買収前に設計されたものだった。実質的なAMF時代最初のモデルは1971年のスーパーグライドで、これは巷で流行をみせていたチョッパーモデルをメーカーが生産したという点で歴史上重要なモデルであった。ウィリー・G・ダビッドソンが製作したこのマシンはFLの車体、エンジンにXLのフロントを移植したもので、セル付がFXE、キック始動のモデルがFXであった。

 1972年、全車種がアメリカ政府の要望により左足動式シフトに統一された。また同年FLシリーズにFディスクブレーキが標準装備となり、スポーツスター系はエンジンを61cu.in.(1000cc)とした。翌1973年にはXLの前輪ディスクブレーキになり、FX、FLは前後輪ともディスクブレーキ装備になった。

 1974年型にはアメリカ建国200年の記念モデルが用意された。スーパーグライドFX、FXEのスペシャルカラーモデルとエレクトラグライドのリバティーエディションである。また同年からオーナーに整備を促す警告装置がつけられるようになったが、これは信頼性が向上したため整備をおろそかにする乗り手が増えたためといわれる。

 1977年にはメーカー製カスタム第2弾としてFXSローライダーが誕生。1978年、HD社75周年記念モデルとしてオプションモデルXLHと80cu.in.(1340cc)エンジンのFLHがデヴューした。1979年にはクラシック、翌1980年にはFLTツアーグライドとこのシリーズは発展を見せる。また1979年はローライダーが80cu.in.(1340cc)エンジンになった年で、同年74cu.in.(1200cc)で製作されたFXEFファットボブは翌1980年に80cu.in.(1340cc)エンジンになった。同1980年には同系80cu.in.エンジンを積むワイドグライドが発表されている。初のベルトドライブ採用車FXBスタージスも1980年のデヴューである。

 FXRはHDモデルの中でもヨーロピアン風のデザインを施したモデルだ。1984年型まではショベルヘッド、1985年型からエヴォリューションエンジンとスポーツスターの1100ccエンジンが使われた。


1905年型

 25cu.in.(400cc)ドディオン式シングル

発売 1962 全長 2000mm 全幅 615mm 全高 950mm 軸間距離 1280mm シート高 - 最低地上高 -mm 重量 157kg 乾燥重量 - 整備重量 -kg 空冷4サイクル横置単気筒ドディオン式 400cc ボア*ストローク 54*54mm 圧縮比 10.5 最大出力 25ps/9500rpm 最大トルク -kg ・m/-rpm 始動方式 押し掛け 潤滑方式 ウェットサンプ 点火方式 - キャブレタ - 点火プラグ - クラッチ 乾式多板 6段リターン 変速比 - 1次減速比 - 2次減速比 - フレーム 鋼管ダブルクレードル キャスター - トレール - Brake F ツーリーディングドラム Brake R ツーリーディングドラム SusF テレスコピック Dumper F - SusR スイングアーム Dumper R - Tyre F 3.00-19 Tyre R 3.50-19 タンク容量 -L オイル容量 -L バッテリ 無 登坂力 - 車両価格 $200-(1905)ミルウォーキー渡し