MZ (East Germany) - index


RoadRacer


 DKWの血を引き継ぎ、特に2stエンジンの発展においてこのメーカーが果たした役割は非常に大きい。ロータリーディスクバルブや排気チャンバーの技術はMZから生まれている。排気脈動を活用する発想はMZ主任W.ガーデン技師の発明であると認識されており、氏はWWII中にベーネミュンデでV1ロケットの開発に携わった際、パルスジェットの脈動理論からこれを閃いたといわれている。MZは1950年代中期よりWGPにファクトリーとして参戦し活躍したがタイトル獲得には至らなかった。1961年にはMZ250に乗るエルンスト・デグナー選手とホンダファクトリーのトム・フィリス選手の競り合いとなった(結果はフィリス選手によりホンダに日本メーカー初の世界タイトルがもたらされた)。最終第2戦のスウェーデンGPで優勝直後、デグナー選手は西側に亡命。その際に知識だけでなくなんらかのかたちでハードウェアも西側に持ち込んだといわれている。デグナー選手はその後スズキワークスに参加、チームの技術向上に大きく貢献した。