PEUGEOT (France 1899- )

 1810年にJean Frédéric とJean Pierre Peogeotが開いた小さな鋳物工場が今につながるプジョーのスタートだ。プジョーファミリー3代目にあたるEugéne とArmandの兄弟が自転車や3輪車(トライシクル)の製造から自動車製造へと業種を転換、彼らの最初のオートバイは1899年に誕生する。それはシングル、そしてツインのモデルでそのエンジンの高い信頼性はライバルメーカーの車体にも搭載されたほどだ。たとえば1907年の最初のツーリストトロフィーでRem Fowlerのライディングで勝利したノートンにはプジョーのVツインが搭載されていた。

 そして1913年にスイス人エンジニアErnest Henryが新しい498ccのパラツインレーサー開発のためにプジョーに加わったところから、プジョーの新世紀が始まる(彼は後に優秀なGPカーを多くつくりあげた)。彼がつくったのは気筒あたり4バルブのカムギア駆動DOHCエンジンだった。このエンジンは1920年代始めに同社に加わったルーマニア人技師Lessman Antionescuにより当時に最新技術を用いてリファインされた。その結果カムシャフトは1本になり、バルブの数も半減、ギアトレインはベベルギアとバーチカルロッドへと置き換えられた。これは技術的には後退であるかのようにとられるかもしれない。だがこれによってプジョーは1923年のモンツァGPを平均速度75mph(120km/h)を記録して勝利したのである。

 公道仕様車としてはプジョーはサイドバルブとオーバーヘッドバルブのシングルに専念していたが、後年これに2ストロークモデルが加わる。