SUZUKI - early


Diamond Free DF (1953)/Mini Free MF-1 (1954)/Porter Free DH-1 (1955)/Porter Free DH-2 (19-)/Power Free E1 (1952)


Power Free E1 (1952) パワーフリー

 強制空冷2stシングル 36cc。自転車にバイクモーターを組み合わせた鈴木式織機株式会社の量販1号車。エンジンスペックは1.0ps/4000rpm。シリンダサイズは36*36mmのスクエア。マスを集中化させて車体を安定させるために、燃料タンクからエンジン本体、サイレンサまで、クランク周辺にまとめる。強制空冷はエンジンとタンクをアルミ外装で覆ってすっきり見せるため。フレームトップチューブにパワーフリー号の特徴である2段変速機の切替レバーを備える。動力伝達にはダブルスプロケットホイールと呼ばれる機構を採用。この機構は鈴木俊三氏(当時常務)の発案といわれる。自転車本体には大きなクッションスプリングの付いた革サドルが採用された。

 戦前に同社は織機で成功をおさめていたが寿命の長い製品ゆえに新しい商材を求めて自動車事業に乗り出そうとしていた。鈴木三郎氏を主任として1936年に開発チームをつくり、開発の手本としてイギリスよりオースチン・セブンを購入。1939年には試作エンジンの開発に成功するが、軍部の意向により軍需産業への転換を強いられ開発を断念せざるをえなかった。終戦後の1951年、労働争議に荒れた時期を乗り切った同社はこのエンジン開発技術を活かして当時需要を伸ばしていたバイクモーターの開発に乗り出した。開発の中心となったのは戦前の自動車研究グループに所属していた丸山善九氏(設計課長)で、氏が趣味で開発していた模型飛行機用エンジンが直接のベースとなったといわれている。試作1号エンジンは目標出力を0.2psと設定。人間が持続して発生できる出力であり、自転車に載せるバイクモーターとして無理がないという思惑からであったが、完成した2st30ccシングルエンジン「アトム号」はやはり非力であった。バイクモーター市場は伸びているとはいえその70%をホンダA型が占めており、残りの企業はその30%を奪い合っている厳しい状況だった。アトム号は急遽方向を変え、排気量を36cc、出力を1psとして1952年4月12日1号エンジンが完成した。これがパワーフリー号である。

 パワーフリー号の初披露は1952.5浜松の凧揚げ祭り会場で、その後7.15に東京日本橋で行われたモーター・バイク展示即売会に出品された。しかし同年道路交通法が改定され、許可制で乗れる排気量制限が4st90cc、2st60ccに上方変更された。この逆風に応えて同社が開発した次期モデルがダイヤモンドフリー号である。ダイヤモンドフリー号は1953.3よりの発売となった。


Diamond Free DF (1953) ダイヤモンドフリー

 空冷2stシングル 58cc。1952年のパワーフリー号発表の後に改定された道路交通法に則り、無試験で乗れる2stの最大排気量60cc枠まで排気量をアップした鈴木式織機(株)のバイクモーター2号車。開発期間はわずか2ヶ月といわれ、1953.3より発売に移された。エンジンスペックは2.0ps/4000rpmで、当時のバイクモータートップクラスの性能だった。最大トルクは0.43kg*m。シリンダサイズは43*40mm。簡素化のためパワーフリーで採用された強制空冷を改め、フィンを持ったシリンダを露出する。エンジンをクランク上、燃料タンクはエンジン冷却の要求からこれもレイアウトを改めフレームトップチューブに吊るす構成になっている。ダブルスプロケットのドライブ方式や2段変速はそのまま採用。パワーアップにともないコンプリートでの車体側も強化されており、ダウンチューブに補強が付き、フロント操舵は三つ又を使ってテレスコピック式とされた。最高速度は60km/h。


Mini Free MF-1 (1954) ミニフリー

 空冷2stシングル 50cc。ダイヤモンドフリー号に続く3代目バイクモーター。エンジンはボア*ストローク38.0*44mmの新設計で2.0ps/4500rpmを発生。後輪駆動方式をプーリーとベルトによるものに改め、エンジン設置場所もこれまでのフレームトラス内からクランク前に移された。エンジン外観は小さいながらもバイク然としており、クランクケースカバーには赤地にSJKの丸いロゴが入る。燃料タンクはRキャリア下、後輪脇に設置。最高速度は45km/h。このパワーユニットは1958年のスズモペッドに搭載された。


Porter Free DH-1 (1955) ポーターフリー

 空冷2stシングル 100cc。鈴木式織機(株)初の2st原動機付第二種モデルであるコレダST1の兄弟車として1955年発表。エンジン一体の変速機は2速。左側にキックペダルを装備するが、これはプライマリー式でポーターフリーのアピールポイントだった。フレームはステアリングヘッドとRアクスルを直接結ぶかたちの鋼管クレードル。懸架装置はフロントテレスコピック、リアはプランジャー式。長いばねで支えられたサドルを持つ一人乗り仕様で、Rフェンダーの上に頑丈なキャリアを装備した。最高出力は4.5ps/4500rpm。公称最高速度は60km/h。後継車はDH-2


Porter Free DH-2 (19-) ポーターフリー

 空冷2stシングル 100cc。DH-2の後継機で出力を4.5psから5.5psにアップしたモデル。