YAMAHA - YA


YA-1 (1954/10-)/YA-2 (1956)/YA-3 (1959)/YA-5 (1961)/125 YA-6 (1964)/YA-6D (1965)/YAT-1 (1963)


YA-1 (1954/10-)

 空冷2stシングル 123cc。ヤマハ初のモーターサイクルとして1954/10/12発表。実際に量産体制が整ったのは同社浜名工場が完成をみた1955/1/1以降になる。後発メーカーだったヤマハは第1号製品にD.K.W. (RT125)をコピーすることを選んだが、その選択が正しかったことは発表後まもなく行われた第3回富士登山レース、浅間火山レースでの優勝と1957/11に生産が打ち切られるまで累計10000台オーバーの生産数が証明している。実際にモデルとする車両が決まったのが1954/6/28、試作車の完成が同年8/31という早いペースで開発された。D.K.W.との相違はミッションが1段増やされ4速とされている点などにみられる。鋼管フレームのワークによる細身のボディデザインと塗装から「赤トンボ」の俗称を得た。前輪懸架はテレスコピック、後輪はプランジャー。ホイールサイズは前後2.75-19。


YA-2 (1956)

 空冷2stシングル 125cc。YA-1の後継機種として1956年デビュー。フレームはプレスバックボーンに変わり、足回りもFボトムリンク、Rスイングアームと進化。エンジン出力もYA-1の5.6ps/5500rpm、096kg*m/3300rpmから6.8ps/6000rpmへとアップしている。モーターサイクルとして初めてグッドデザイン賞を獲得している。前後ホイールは3.00-16を採用した。


YA-3 (1959)

 空冷2stシングル 123cc。YA-3より1959年マイナーチェンジ。セルを装備したのがもっとも大きな変更点で、キャブレタの見直しにより燃費を向上、Rフェンダー上の荷台にはタンデムグリップが新設された。


YA-5 (1961)

 空冷2stロータリーディスクバルブシングル 123cc。1961年のYAは低中速域の充実を図って、吸気をロータリーディスクバルブ方式に変更。Fフォークはボトムリンクからテレスコピックに変更された。このパワーユニットは1963年にパイプフレーム+18インチホイールの車体に搭載され、YAT-1として発表された。


125 YA-6 (1964)

 空冷2stロータリーディスクバルブシングル 123cc。フレームから新設計となったYA-6はエンジンに量販車世界初の分離潤滑機構、ヤマハオートルーブを採用し注目を集めた。オートルーブは再び世界GPへ挑戦を始めたワークスマシンからのフィードバックであり、利便性だけでなく2stエンジンの耐久性を飛躍的に向上させた。YA-6はビジネスモデルとしてラインナップされていたが、モトクロスレース出場のためのベース車両としても人気を集めたといわれる。公称最高速度110km/h。1968年にA-7へ引き継がれた。


YA-6D (1965)

 空冷2stロータリーディスクバルブシングル 123cc。YA-6にホワイトリボンタイヤを装着したデラックスモデル。