YAMAHA - A


AG100 (1982)/A-7 (1968)/AG175 (1977)/AG175 (1982)/AG200 (1985)/Artecia (1992)/AS-1C (1968)/AS-1 Custom (1967)/AS-1D (1967)/AS2 (1970)/AT-1 (1969)/AT90 (1966)/AT125 (1971)/AX125 (1971)


AG100 (1982)

 空冷2stピストンリードバルブシングル 97cc。輸出車。AG175 (1982)と共通の車体にMR80系のシングルエンジンを搭載するファームバイク。8.5ps/6250rpm、0.98kg*m/6000rpmでミッションは5段。車高を抑えた鋼管シングルクレードルフレームに後輪支持は鋼管スイングアーム+2本ショック。エンジンクランク下にはスチールパイプのエンジンガードが設けられる。ホイールサイズはAG175よりひとまわり細くF2.75-19、R3.50-18。前後フェンダーにはマッドガードが付く。チェーンテンショナはスネイルカム式。シングルシートの後ろには大型キャリアを備え、キャリアの下には工具箱(※燃料の予備タンクと記述される資料もあるが誤り)を装備。ヘッドライト上にも小さなキャリアを持つ。ハンドルグリップまわりにはスチールパイプのハンドルガードを標準装備。チェーンはフルカバード。斜面での使用を考慮し、車体両側にサイドスタンドを備える。チャンバ形状もAG175 (1982)とよく似ており、外観上の違いはサイドカバーの排気量表記程度。


A-7 (1968)

 空冷2stロータリーディスクバルブシングル 123cc。ビジネスモデルながらモトクロス競技のベースマシンとしても人気を集め、オートルーブを量販車として初採用したYA-6 (1964)の後継車として1968年発表。プレスバックボーンにシングルエンジンを抱える基本構成に変更はないが、オイルタンクは大型化され、ガスタンクの形状もスリムに変更された。Rキャリアのタンデムグリップは廃止、シート形状も変更され、灯火類を大型化、レッグシールドが装備された。ホワイトリボンタイヤをOEM装着。モトクロス競技のためのキットパーツも用意された。公称最高速度110km/h、0→400mは19.8sec。


AG175 (1977)

 空冷2stピストンリードバルブシングル 171cc。輸出車。農場で羊を追うファームバイクとしてオーストラリアなどで使用された。AGの名称はAgriculture (農業)から来ているといわれる。シングルエンジンには5速ミッションが組み合わされ、右出しのアップタイプチャンバー。斜面の不整地でも駐車できるよう車体両側に接地面積の広いサイドスタンドが付く。草などの噛み込みを防止し、メンテナンスを楽にするためチェーンはフルカバード。Fフェンダーはアップタイプで、前後フェンダーにはマッドガードが標準装備される。シングルシートでRキャリアを装備。ヘッドライト上にもキャリアが付く。グリップ部分にはガードバー、クランク前のフレームにはエンジンガード、チェーンケース下側にはこれのガードパイプを備える。後輪支持は2本ショック+スイングアーム。F3.00-19、R3.50-18。


AG175 (1982)

 空冷2stピストンリードバルブシングル 171cc。輸出車。DT175をベースとしたファームバイク。車高を抑えた鋼管シングルクレードルフレームに後輪支持は鋼管スイングアーム+2本ショック。エンジンスペックは13.7ps/6500rpm、1.6kg*m/5500rpm。エンジンクランク下にはスチールパイプのエンジンガードが設けられる。ホイールサイズはF3.00-19、R4.10-18。前後フェンダーにはマッドガードが付く。チェーンテンショナはスネイルカム式。シングルシートの後ろには大型キャリアを備え、キャリアの下には燃料の予備タンクを装備。ヘッドライト上にも小さなキャリアを持つ。ハンドルグリップまわりにはスチールパイプのハンドルガードを標準装備。チェーンはフルカバード。斜面での使用を考慮し、車体両側にサイドスタンドを備える。AG175 (1977)と比較して、チャンバの形状が変わり出力が上がっているほか、Rショックがレイダウンされているが装備面での変わりはないようだ。1982年は兄弟車にAG100 (1982)があり、車体、装備はほぼ共通。


AG200 (1985)

 空冷4stSOHC2バルブシングル 196cc。XT200をベースにしたファームバイク。鋼管ダイヤモンドフレーム+角型断面材モノクロスの車体は車高を低く抑えた単座仕様。F3.00-19、R4.10-18の前後ドラムブレーキで、クッションストロークは前輪200mm、後輪165mm。方向性はこれまでの2stAGシリーズと変わらず、大きなマッドガードを備えた前後フェンダー、ヘッドライト上とシート後ろのキャリア、Rキャリア下のサブ燃料タンク、ハンドルグリップのガードパイプ、エンジンのアンダーガード、フルカバーチェーンケースなどの重装備。大型Rキャリアはテールランプまわりをガードする構造になっている。Fキャリアは同様にヘッドライトを守り、地図などをはさむクリップも装備。16ps/7000rpm、1.7kg*m/6000rpm。始動はキックのみでミッションは6速。


Artecia (1992) アルテシア

 空冷4stSOHC4バルブシングル 399cc。SRX400ベースのエンジンを鋼管ダイヤモンドフレームに搭載したオフロードツアラー。エンジンスペックは31ps/7000rpm、3.3kg*m/6000rpmで組み合わせるミッションは5速。排気系はアップタイプ。F90/90-21、R120/90-17のスポークホイールで前後シングルディスク。後輪支持は角型断面スイングアームによるリンク式モノクロス。Fフェンダーはアップタイプで、ライバル車となるカワサキのKLE400やホンダ トランザルプに比べオフよりの設定とされた。メーターバイザーがあるのみで防風効果はほとんどない。シート後ろには樹脂製の荷台スペースがあったが使い勝手よりもデザイン、コスト優先の感がある。


Trail 125 AS-1C (1968) トレール

 空冷2stピストンバルブパラツイン 124cc。AS-1D (1967)をトレール風に仕上げたバリエーションモデル。鋼管ダイヤモンドフレームの車体はほぼ共通で、セミアップマフラーやFフォークのブーツが外観上の違い。エンジンはやや低回転に振られ、AS-1Dの15ps/8500rpm、1.3kg*m/8000rpmに対して13.8ps/7500rpm、1.3kg*m/7500rpm。登坂力はAS-1Dの20度30分から23.5度へアップ。この時期のヤマハ車の末尾のCはセミアップマフラーのスクランブラーを表す。また1968年にヤマハラインナップは一斉に灯火類の大型化を実行しており、このモデルもウインカなど共通パーツを使用している。公称最高速度125km/h、0→400mは18sec。


AS-1 Custom (1967)

 空冷2stピストンバルブパラツイン 124cc。Sport AS-1D (1967)をデチューンしたスタンダードモデル。外観上の相違は高いハンドル位置、リップ状のマッドガード、メッキタンクなど。出力はAS-1Dの15ps/8500rpm、1.3kg*m/8000rpmに対して13ps/7000rpmと抑えられている(トルクデータは資料が誤っているようなので)。フレームは鋼管ダイヤモンド。オイルタンクであるサイドカバー前側にエアクリーナボックスが独立する構造。公称最高速度は120km/h。


Sport AS-1D (1967)

 空冷2stピストンバルブパラツイン 124cc。125ピュアスポーツとして1967年発表。AT90 (1966)のボアを広げ43*43mmのスクエアとしたエンジンを新設計鋼管ダイヤモンドフレームに搭載。シリンダは5ポートとして当時クラス最高の15psを誇った。オイルタンクであるサイドカバー前側にエアクリーナボックスが独立する構造。シャープなデザインのタンクはツートンに塗り分けられた。エンジンの出力を抑えハンドル位置を高く設定したAS-1 Custom (1967)やセミアップマフラーを採用したAS-1C (1968)などバリーエーション展開された。公称最高速度130km/h、0→400mは17.5sec。後継車はAS2 (1970)


Sport AS2 (1970)

 空冷2stピストンバルブパラツイン 124cc。AS-1D (1967)の後継車として1970年発表。デザインの大幅変更を受けたほか、Fフォークにチュリアーニ型サスペンション、タコメーターを装備。レース用のキットパーツも提供された。公称最高速度130km/h、0→400mは17.5sec。人気を獲得するには及ばず1971年に大幅にデザイン変更を受けAX125へモデルチェンジ。


Trail 125AT-1 (1969)

 空冷2stピストンバルブシングル 123cc。DT1 (1968)に酷似した125クラスヤマハ初の本格オフモデル。エンジンが5ポートシリンダを使用。Fフォークにはチュリアーニ式を採用。前後ホイールサイズはDT1のF3.25-19/R4.00-18に対してF3.00-18/R3.25-18。公称最高速度105km/h、0→400mは19sec。このエンジンは175CT2 (1971)に搭載されたエンジンのベースとされた。1971年にDT1がDT250 (1971)にモデルチェンジしたのにともないAT125 (1971)にモデルチェンジ。


Trail AT125 (1971)

 空冷2stピストンリードバルブシングル 123cc。DT1 (1968)DT250 (1971)にモデルチェンジされたのにともない125AT-1 (1969)からモデルチェンジされ車名もAT125に変更。5ポートシリンダだったエンジンは7ポートに変更された。DT250イメージの車体デザインを施され、Fフォークのボトムケースはアルミ製。Rショックは5段階のプリロード調整が可能。タンクキャップはプッシュ式とされた。同様のデザインの輸出仕様車に175CT2 (1971)があるが、こちらはAT-1のエンジンをボアアップして搭載している。公称最高速度110km/h、0→400mは19sec。


AT90 (1966) オートルーブツイン

 空冷2stピストンバルブパラツイン 89cc。1966年、YG系のフレームに新設計ツインを搭載して発表。90クラスではヤマハ初のツインエンジン。排気音からジェットバルブツインという愛称を得た。公称最高速度100km/h。AT90はこの後124ccまでボアアップされAS-1D (1967)へと発展した。


Sport AX125 (1971)

 空冷2stピストンバルブパラツイン 124cc。AS2 (1970)から1971年モデルチェンジ。デザインを一新した鋼管ダイヤモンドフレームの車体はホイールベースを40mm延長、最低地上高は10mmアップ。エンジンはAS2をベースとしており15ps/8500rpm、1.3kg*m/8000rpmのスペックに変更はないが吸気管長が伸ばされるなど手が加えられ、高回転域の伸びが改良されている。公称最高速度130km/h、0→400mは17.5sec。兄弟車としてHX90 (1971)が同時発売された。1973年には市販レーサーTA125として予めレースキットを組み込んだコンプリート車両が販売された。後継車は1974年発表のRD125