YAMAHA - RoadRacer (factory)


OW31 ()/RD05 ()/RD56 () Yamaha-Twin/YD/A (1957)/YD/B (1957)/YES (1959)/YZ634 (1972)


OW31 ()

  1978年の市販レーサーTZ750Dへ多くの技術をフィードバックした工場レーサー。


YD/A (1957)

 空冷2stパラツイン 247cc。プレスフレームのビジネスマシンYDをベースにしたパワーユニットを鋼管クレードルフレームに搭載したファクトリーレーサー。第2回浅間火山レースに出場しYD/B型とともに表彰台の1位から3位を独占した。B型との相違点はエンジンのディメンションで、A型は54*54mmのスクエア、B型は56*50mmのショートストローク。ともにレースで結果を出したが、優勝したB型をもってヤマハはアメリカのレースに遠征した。


YD/B (1957)

 空冷2stパラツイン 246cc。プレスフレームのビジネスマシンYDをベースにしたパワーユニットを鋼管クレードルフレームに搭載したファクトリーレーサー。第2回浅間火山レースに出場しYD/A型とともに表彰台の1位から3位を独占した。優勝したのはB型。A型との相違点はエンジンのディメンションで、A型は54*54mmのスクエア、B型は56*50mmのショートストローク。ヤマハはこのB型をもってアメリカのカタリナ島で行われたダートレースに挑戦、トラブルに会いながらも伊藤史朗選手のライディングで6位でフィニッシュした。その後アメリカ本土を転戦、このレーサーはカタリナレーサーと呼ばれ、第3回浅間火山レースをはじめとするその後の国内レースで大きな役割を果たした量販車250S(後にYDS1と改称)へと発展した。


YES (1959)

 空冷2stパラツイン。250Sをベースにボアアップしたファクトリーレーサーとして、1959/8の第3回浅間火山レース350ccクラスに参戦。優勝を飾った。このあとYESの名称は1963年発表のYDS-2のボアアップモデルYES-2に適用された。


RD56 () Yamaha-Twin

 ヤマハツインレーサー。直接のライバルはホンダ・フォアRC163だった。


RD05 ()

 水冷4stV4レーサー。ホンダ・シックスRC166をライバルとした。70馬力台を叩き出したといわれる。


YZ634 (1972)

 ヤマハは1968年にロードレース活動を一時停止していたが1972年よりYZ634でWGPへ再参戦。その水冷エンジン技術は翌1973年に初の水冷市販レーサーTZ250/350へフィードバックされた。