YAMAHA - YDS
YDS-1 (1959)/YDS-2 (1962)/YDS-3 (1964)/YDS-3 (1966)
空冷2stパラツイン 246cc。 カタリナレーサーと呼ばれたファクトリーレーサーYD/Bをベースにしたヤマハ初の本格ロードスポーツ。250Sの名称で市販されたが3000台を生産した時点で250Sは車名をYDS1と改められ、ヤマハ2stスポーツの元祖として評価された。エンジンはデチューンされパワーバンドを広げる方向に振られている。ツインキャブ、5速ミッションなど国産量販車初の装備が施され、ヘッドライトナセルにはスピードとタコのコンビネーションメーターが組み込まれる。ハンドルバーは一文字タイプ。最終減速はチェーンだがその取り出しは車体右側になる。車体左側面に剥き出しのバッテリを抱える大胆な構成。フレームは鋼管ダブルクレードル。前後3.00-18のスポークホイールにドラムブレーキ。この時期のデザイン担当であるGKグループの手によるコバルトブルーのカラーリングもセンセーショナルなものであった。1959.8の第3回浅間火山レースではレーシングキットを装着した250SとホンダCR71の激戦となったが、このレースではCR71に乗るプライベーター北野元選手の勝利で終わっている。浅間レース後、フレームに補強が施された250Sは本格量産に入る。レースキットもあわせて販売され、国内レースシーンに欠かせない存在となった。キットパーツを組み込んだレーサーは「アサマ型」と呼ばれたが、モトクロスレースの世界でもアップマフラーを組み込まれた250Sが活躍した。公称最高速度140km/h。
スペックデータシート(xlsxファイル)
YDS-2 (1962) Sport
空冷2stピストンバルブパラツイン 246cc。ヤマハ初の市販レーサーTD1
(1962)のベースとなったロードスポーツ。YDS1 (1959)に比べエンジンは5psのアップ。フロントドラムは2リーディングに改められている。発表5ヶ月後にキャブレタ口径を20mmから22mmに広げたマイナーチェンジモデルが出ている。もちろんキットパーツもあわせて市販された。バリエーションモデルとしてボアを広げて自動2輪扱いとしたYES-2、ツーリングモデルのYDT-1
Touringが存在する。
YDS-3 (1964) Sport
空冷2stパラツイン 246cc。YDSシリーズとして初めて分離給油機構(ヤマハオートルーブ)を採用し、注目を集めた。オートルーブはレース活動を再開したヤマハのレーサーからのフィードバックで、量販車採用は125YA-6
(1964)に続く2機種目。これにより右サイドカバー部分がオイルタンクとされている。エンジンはYDS-2 (1962)に比べ最高出力で1psのアップにとどまるが最大トルクが同6000回転で2.14→2.3kg*mへ増加している。車体はYDS-2をベースにしたものでホイールサイズなどにも変更はない。Rショックは3段階のプリロード調整が可能なものとなった。発売半年後にマイナーチェンジを受け、セミアップハンドル仕様となったほか、タンクの音叉マークがYAMAHAロゴに置き換えられている。兄弟車として排気量を305ccに拡大した305YM1
(1964)が存在する。
空冷2stパラツイン 246cc。1964年発表のYDS-3
(1964)は1966年マイナーチェンジ。外観的にはグラフィック変更とツートンカラーシートの採用が変更点。エンジンは2psアップされ26ps/8000rpm、2.5kg*m/7500rpmのスペックとなった。車体に大きな変更はみられないが前後リムが一回り幅広化されている。公称最高速度152km/h。翌1967年にDS5Eへモデルチェンジ。